エポキシ樹脂の圧縮特性における hyperbranched polymerとβ緩和の影響
今日のコラムでは、FRP学術業界動向として エポキシ樹脂の圧縮特性におけるβ緩和の影響 ということに関する論文を取り上げたいと思います。
今回取り上げる論文は以下のものになります。
The role of β relaxations in controlling compressive properties in hyperbranched polymer-modified epoxy networks
Larry Q. Reyes etal
Polymer Journal volume 53, pages393?401(2021)
https://www.nature.com/articles/s41428-020-00433-3
β緩和とは
まず今回の議論のポイントとなるβ緩和について述べてみたいと思います。
この現象をより丁寧に説明している論文は以下のものになります。
Gyan P. Johari and Martin Goldstein
Viscous Liquids and the Glass Transition. II. Secondary Relaxations in Glasses of Rigid Molecules
J. Chem. Phys. 53, 2372 (1970)
https://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.1674335
この論文中の VI. THERMODYNAMIC NONEQUILIBRIUM IN A GLASS AND β RELAXATION という項目がβ緩和という事象の理解の第一歩になるかと思います。
FRPのマトリックス樹脂はいわゆる高分子です。
この高分子は「粘弾性」という特殊な性能を有しており、
弾性であるばね成分と、ゴム成分であるダッシュポットを並列に組み合わせた形態で表現されることが度々あります。
高分子の中で特にガラス成分が支配的になる領域と、ゴム成分が支配的になる領域の境目には
「相転移」
という事象が発生します。
これをガラス転移と言い、ガラス転移温度というのはガラス状態からゴム状態への相転移が生じる温度のことを言います。
理論的には
「分子間力と分子運動による力が釣り合う温度がガラス転移温度である」
という言い方をすることもありますね。
このような粘弾性特性を理解することは、FRPの成形プロセス設計にも重要なパラメータを提供します。
これについては過去に私も論文を発表したことがあるので、
そちらも合わせてご覧ください。
Fiber volume control of composite materials by loss angle
Shuichiro Yoshida etal
Polymer Composites, 37, 5 (2016)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/pc.23296
β緩和に話を戻します。
β緩和というのは、
「ガラス転移温度よりも低温域で起こるゆっくりとした分子の再配列」
といえます。
これは、仮に安定状態にある固体状態、すなわちガラス状態にあったとしても、
熱力学的非平衡状態が残っており、それがゆっくりと時間をかけて平衡状態に移ろうとすることです。
物理化学では、系の乱れをエントロピーという指標で表しますが、
熱力学第三法則から絶対零度になれば系のエントロピーはゼロになります。
つまり固体より液体、液体より気体の方がエントロピーが大きくなるわけです。
その上で、圧力が一定であるという条件で用いられるギブス関数は、
温度に対して以下のような性質を示すことが知られています。
これにより、温度を上げる程、μで示される化学ポテンシャルが減少することが示されています。
Sであらわされるエントロピーは常にプラスの値を示すからです。
このエントロピーは上記の通り「固体 < 液体 < 気体」の順で大きくなっていくので、
温度変化に対する化学ポテンシャルの勾配が大きくなります。
固体から液体、または液体から固体等の形態が変わるときに、この勾配の違いによる急激な変化、すなわち相転移という事象が生じます。
ガラス転移はガラス状態からゴム状態という少し変わった転移ですが、
相転移であることに変わりはありません。
冷却というのは上記の自然のお話と真逆になります。
高分子がガラス状態に相転移しますが、すべての分子が規則正しく並んで完全な固体になることは非常に難しい。
特に急冷すると分子配列が整う前にガラス状態になってしまうため、
分子が後追いで再配置するような動きが生じます。
これが緩和という事象であり、今回のβ緩和というのは特にガラス転移温度よりも数十℃低温側で生じる緩和現象のことを言います。
特徴的な事象はいくつかありますが、
急冷の方がβ緩和が起こりやすいという話は以下のような結果が一例です。
これはβ緩和の減少によるtanδの増加、すなわちゴム成分による応答遅れが顕著になるチャートの拡大図です。
( The image above was referred from https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/pc.23296 )
冷却速度が大きいほどtanδのピークが大きくなっていることが示されています(1-chroronaphthalene-pyridine 溶液で評価)。
これは上述した通り急冷すると分子配列が整いにくく、非晶状態、いわゆるアモルファスになりやすいことに由来しています。
不揃いな分子配列が多いほどβ緩和は多く起こるということですね。
またβ緩和という現象はアレニウス式に良く合致することも知られています。
以下は chlorobenzene-pyridine 溶液について、
横軸が温度の逆数、縦軸がβ緩和によるtanδがピークを示した周波数の対数を示しています。
この論文中ではtanδを誘電損率と誘電率の計測によって求めているため、
応答がDSCのような比熱ではなく、周波数となっています。
( The image above was referred from https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/pc.23296 )
上記のグラフから、点のプロットはβ緩和を示す (2) のグラフが直線となっているのがわかります。
エポキシ樹脂の改質に使用した hyperbranched polymer
今回評価したエポキシ樹脂の改質に用いているのは、hyperbranched polymer と呼ばれるものです。
イメージがわかないと思いますので、イラストを書いてみました。
( The image above was drawn by FRP Consultant )
あまり正確で無い上にバランスも良くないことはご容赦いただきたいのですが、
ご理解いただきたいのは高分子が鎖状に伸びていくのではなく、
枝分かれを繰り返しながら球状に成長しているということです。
また、末端にビニル基(C=Cの結合)等の官能基を導入することによって、
分子中に共有結合で導入されるようにする、という表面改質を行うこともポイントです。
hyperbranched polymer は三次元架橋で重合していくエポキシ樹脂に、
重合前の段階で添加することで分子内に取り込むことができます。
冒頭に紹介した論文で用いられているのは、脂肪酸ポリエステル系の hyperbranched polymer のため、
分子がある程度自由に動くことができるため、分子運動性を改善するという役割を担うことができます。
この論文中で用いている hyperbranched polymer のイメージ図は Fig.2 にて示されています。
この hyperbranched polymer は末端が水酸基なので、
Methylene diphenyl diisocyanate という化合物と反応(重付加反応)させることで、
hyperbranched polymerとの間にウレタン結合を形成し、
残りのイソシアネート基とエポキシを反応させることで共有結合を形成させることを狙っています。
上記のイソシアネート基を導入した方がエポキシとの反応性が高まるだろう、
という予測から実施したようです。
架橋密度について
本論文中では架橋密度についても導入がなされています。
架橋密度はガラス転移温度+30℃の温度を Tr として、
気体定数と損失弾性率 Er を使い、下式のように求めています。
この架橋密度式の妥当性は確認が必要ですが、
式がシンプルであることに加え、式の内容としても違和感がありません。
この考えは知見の一つとして知っておくといいかもしれません。
貯蔵弾性率ではなく、損失弾性率を使うというのがポイントのような気がします。
hyperbranched polymer 添加によるエポキシの圧縮特性の変化
本論文で見るべき最重要ポイントはここになります。
詳細は冒頭の文献の Fig.10 をご覧いただければと思いますが、
私の考えた要点を抜粋すると以下のようになります。
・イソシアネート基の導入によって、顕著な違いは出ていない(ばらつき自体も大きいため、差といえない)
→ただし、エポキシ樹脂との混和性向上には効果があることが判明。
・ hyperbranched polymer の添加により圧縮弾性率が向上し、圧縮降伏ひずみが低下する
・ hyperbranched polymer を5-10%添加した場合に圧縮降伏強度が最大となるが、ばらつきも大きい
→15-20wt%添加すると圧縮降伏強度の明らかな低下が認められています。
個人的な感想ですが、これだけを見るとあまり hyperbranched polymer をエポキシに添加するメリットが見えません。
特にFRPのマトリックス樹脂の場合はその傾向が強いです。
というのは、
「降伏ひずみが低下している」
というのが、FRPのマトリックス樹脂として使った場合に、
破壊しやすくなるという傾向につながるためです。
架橋密度を見てもある程度までは hyperbranched polymer の添加により架橋密度が増加していることから、
脆性な材料に変質している傾向が見受けられます。
FRP材料設計においては、かなり弾性率の高い繊維、例えばビッチ系の炭素繊維と組み合わせると、
高弾性率の繊維の特性を引き出しやすくなるという可能性もあります。
ただし、弾性率の改善は20wt%加えても10%程度の圧縮弾性率向上にしかならないため、
なかなか hyperbranched polymer を適用する意義は見いだせないのではないか、
というのが私の考えです。
β緩和とエポキシの圧縮特性との関係
ここも一つのポイントとなります。
結果としてみるべきは冒頭の論文中の Table 2と3になります。
これらの表の右のほうに「FWHM」と「Peak area」の2つの列があります。
ここではDMAによる計測結果をもとに算出しているとのこと。
FWHM( full width half maximum )というのはβ緩和による低温度域での tanδ のピークの高さの半分位置における、
横方向の長さになります(そのため、単位は℃になっています)。
これが大きいほど tanδ のピークがブロードになることを意味しています。
Peak area は tanδ のピーク面積です。
これが大きいほどβ緩和による分子の再配置が起こっていることを意味しています。
チャートについては冒頭の論文中の Fig.7 を見るとわかりやすいかもしれません。
表を見るとわかりますがイソシアネート基の導入有無に関わらず、
hyperbranched polymer のエポキシへの添加によって、
FWHM、Peak area がともに低下していることがわかります。
つまり、
「hyperbranched polymer の添加はβ緩和を抑制する効果がある」
ということになります。
既に述べた通り hyperbranched polymer の添加によって圧縮弾性率が上がり、
添加量によっては圧縮降伏強度の上昇が認められる一方、
圧縮降伏ひずみの低下がみられました。
つまりβ緩和が起こりやすい分子系程、
圧縮弾性率と圧縮降伏強度が低下し、圧縮降伏ひずみが向上するということになります。
ここでのポイントは、ばらつきが大きいものの5wt%程度の hyperbranched polymer 添加により、圧縮降伏強度が増加しているということです。
β緩和は論文中で分子の微小可動性と綿密に連携があるとのことで、
これは可能性の一つですが
「5-10wt%程度の hyperbranched polymer の添加はβ緩和を抑制して弾性率を維持して変形を押さえる一方、
hyperbranched polymer の分子の有する柔軟性による応力緩和を発現している」
というバランスが取れていると考えられます。
個人的にはβ緩和とエポキシ樹脂の圧縮特性に明確な相関が出れば興味深かったのですが、
今回得られた結果だけではなかなか明確な相関を述べることは難しいと考えます。
しかしながら、β緩和という現象を一つの指標として、
圧縮特性という機械、物理特性の向上を狙ったという観点は興味深いと思います。
何故ならばFRPの破壊特性において、
マトリックス樹脂の性能が大きく影響を与えるのが面外(層間)特性か、
圧縮特性だからです。圧縮特性に着眼した意義はあります。
もしかすると、更に研究が進むことで、
エポキシ樹脂の圧縮特性をより改善するという分子設計が実現できるかもしれません。
継続した研究を期待したいと思います。