化学工場での酸性薬品保管に活用される耐薬品性を有するFRP
2022年8月26日に、茨城県神栖市の化学工場で1200トンを超える塩酸が漏出するという大事故がありました。
この事故を踏まえ、以下のようなリリースが出されています。
今回は問題となった強酸が揮発性物質である「塩酸」であったこと、
さらにはその漏れだした酸が1200トン以上というけた違いのスケールにあります。
漏れだした量は1228トンとのことですので、
密度を1.18g/cm3とするとその体積は1040リューベ(m3)以上。
深さ1mのプールだとするとその寸法は縦横寸法がそれぞれ32m以上にもなります。
いかに大量の塩酸が漏れ出したかがわかります。
厳重な管理が必要な揮発性の強酸が漏れだすという恐怖は、
中学校で食塩水の電気分解を行う等、
化学に触れた方々であれば大なり小なり感じることではないでしょうか。
塩酸が毒物劇物取締法の「劇物」に該当することもその裏付けの一つです。
報道番組の画像を見ると白い粉も見えていることから、
何かしらのアルカリ性物質によって中和を行っている模様ですが、
これらの作業一つひとつもどのような影響が出るのか見当がつきません。
このような危険な塩酸ですが、
塩化物、色素類、アミノ酸の製造、酸洗浄など産業用途としても多く使われているのも事実です。
今回はこのような酸性薬品の産業用途における、
FRPの適用について考えてみたいと思います。
FRPは金属に比べて耐薬品性が高いため、化学工場で使われることがある
Photographed by Loïc Manegarium
FRPというと軽量高強度というイメージから、
モビリティーやスポーツなどの用途のイメージを持つ方が多いと感じます。
しかし軽量高強度だけでは、どうしてもコストの話に巻き込まれ、
価格面で優秀な金属材料との比較で負けることが殆どです。
そんな中、FRPで見逃されがちな特性の一つが
「耐薬品性」
です。
その歴史は思ったより長く、1970年代には既にFRPの耐薬品性を活用した適用が始まっています。
適用の事例として多いのは化学工場や関連設備です。
工場内では、酸を保管する貯槽、輸送に使うタンク、腐食性ガスを吸うファン、
排煙塔や煙突、排気装置の部品やケーシング、酸や酸を含む廃液が通る配管等があります。
使い方としてはFRP単独のものから、
酸などに接触する部分だけをFRPで被覆する、
いわゆるライニングを行うケースもあります。
FRPの酸に対する耐性を高めるための技術的なポイント
FRPを酸に対する耐性を高めるにはどうしたらいいのかという観点から、
少し技術的な話に入っていきます。
化学工場で使われるFRPの多くはガラス繊維強化プラスチック/GFRP
まず最初にご理解いただきたいことは、
耐薬品性が求められる化学工場のような用途に対しては、FRPの中でも
「強化繊維にガラス繊維」
「マトリックス樹脂に不飽和ポリエステル系のもの」
を用いる、GFRPが一般的であるということです。
当然ながら部分的には炭素繊維強化プラスチック/CFRPや、
後述するように有機繊維を強化繊維としたFRPを使うこともあります。
しかし、性能、コスト、作業性、供給安定性等のバランスから、
一般的にはGFRPであることをご理解いただければと思います。
マトリックス樹脂はビスフェノール骨格導入がポイント
マトリックス樹脂は分子が長く連なった高分子の一種です。
特に熱硬化性樹脂の場合、分子鎖は架橋剤/硬化剤によって細かく分岐しながら、
複雑な三次元網の目構造を形成します。
しかし、その特性は主鎖と呼ばれる基本的な分子構造に依存することが知られています。
この辺りは以下のような過去のコラムでも取り上げたことがあります。
・関連コラム
FRP戦略コラム – FRPのマトリックスは熱硬化性樹脂か熱可塑性樹脂か
GFRPのマトリックス樹脂で一般的である不飽和ポリエステルのうち、
汎用用途のものは「オルソ系」と呼ばれます。
これは、不飽和ポリエステルの原料であるカルボキシル基が2つベンゼン環に結合したフタル酸の構造に由来します。
高校で化学を学んだことがある方は、
ベンゼン環に結合する官能基の位置関係によって、
パラ(p)、メタ(m)、オルト(o)があることを覚えているかもしれません。
これらは類似した性質を示すものの構造が異なる「異性体」と呼ばれ、
上記の3つの呼び名で区別することでその構造を明確化しています。
この辺りは、高校生向けではありますが以下のような動画がわかりやすいかもしれません。
この「オルト(o)」が上記で示した「オルソ系」の語源だと考えています。
何故、オルトではなくオルソとしているのかはわかりませんが、
実際にオルソ系の不飽和ポリエステルの基本構造を見ると、
構造の途中にベンゼン環があり、そこからオルトの位置でエステル基が結合しているのがわかります。
これが最も一般的なGFRP向けの不飽和ポリエステル樹脂です。
その一方で、酸性に対する耐性、すなわち耐薬品性を高めたものは「ビニルエステル」と呼ばれます。
基本的にはポリエステルの一種ですが、一般的なオルソ系のマトリックス樹脂でフタル酸だったところが、
ビスフェノールに置換されている(置き換えられている)構造となっています。
ビスフェノールはCFRPのマトリックス樹脂で一般的なエポキシ樹脂の基本骨格にもよく用いられるもので、
機械特性と物理特性のバランスが大変良い。
フタル酸が構造中ベンゼン環が1つだったのに対し、ビスフェノールはこの環を2つ有しています。
ベンゼン環を化学構造として有するものは芳香族化合物と呼ばれ、
一般的に耐熱性や耐薬品性などの物理特性が高まる傾向にあります。
極めて特殊で安定的なベンゼン環という化学構造が硬化物の特性にまで影響を与えているのです。
一例として超耐熱樹脂であるビスマレイミドは基本構造の中に2つのベンゼン環に加え、
2つの五員環を有しています。
炭化水素の環状構造は電子の共役などの影響で安定化できれば、
優れた物理特性を発現するのは化学系の方々にはよく知られたことだと思います、
・関連コラム
FRP学術業界動向 CFRPの 熱酸化劣化 による特性変化に関する研究
しかしベンゼン環等の環構造が増えると剛直になる一方、脆くなるという欠点もあります。
耐熱性や耐薬品性という物理特性を維持しながら、脆さを低減、つまり靭性を上げるという取り組みが必要である、
というのはこのような背景からきています。
また、ビスフェノールは女性ホルモン様作用があることから、
環境ホルモンの一種として扱われることもあり、
今でも検証が続いているということも合わせて知っておいて損は無いかと思います。
以上の通り、耐薬品性を目指すのであればビニルエステルと呼称されることの多いマトリックス樹脂を選定することがポイントです。
概要としては以下のような良質な資料も参考になります。
古い資料ですが、状況は今と大きく変わらないと考えます。
一般的にはガラス繊維だが、ガラスを冒す酸の場合は有機繊維を酸との接触面に用いる
化学工場などで用いられる場合、一般的にはGFRPであると述べましたが例外もあります。
それが、
「ガラス繊維を冒す酸の場合は有機繊維で代用する」
というものです。
すべてという必要はありませんが、
酸や酸の揮発物と接触する面をガラス繊維ではなく、
有機繊維を強化繊維としたFRP積層パターンに設定するイメージとなります。
ガラスを冒す酸として代表的なものがフッ酸です。
この特性を利用し、ガラスをフッ酸で溶かして絵を描くという動画があります。
3分過ぎからフッ酸が登場します。
後半はどのようにガラス、つまり酸化ケイ素がとけるかという化学反応式も記載されています。
フッ酸は大変恐ろしい酸で、直接触れると浸透して骨まで溶かすと以前教えてもらったことがあります。
いずれにしてもフッ酸、もしくはフッ酸が混合された酸に耐える必要がある箇所に対しては、
ガラス繊維をFRPの強化繊維に用いてはいけません。
揮発性のある塩酸は塩酸水溶液そのものより、揮発した塩酸ガスによる腐食が危険
これはあまり知られていないことかもしれませんが、
冒頭で紹介した揮発性のある塩酸の場合、
接液面よりも揮発した塩酸ガスによる腐食が深刻である事が知られています。
「FRP製塩酸貯蔵用タンクの腐食事故解析」という東工大と日大の先生によって書かれた論文では、
FRP製のタンクの接液面である側面よりも、
天井部が揮発性ガスによって腐食進行したことをEDS分析等によって明らかにしています。
このような腐食現象進行の結果、FRPタンクの天井部に乗った作業員がFRP天井部の腐食による強度劣化に伴う破損のため、
塩酸中に転落して死亡するという痛ましい事故も発生しています。
化学工場で酸の保管等を目的にFRPを用いる場合、
このような腐食事象進行の特性を予め理解することも不可欠といえます。
長期使用する構造部材に対しては、適切な点検と必要に応じた補修や交換が重要
FRPに限りませんが、どれだけ高い耐久性を有していたとしても強酸やそのガスにさらされた材料の劣化進行は不可避です。
そのため、長く使うのであれば作っておしまいというのではなく、
長期にわたる点検と必要に応じた補修や交換を行う管理が重要です。
結局のところ長く使うためには丁寧な管理が最も重要で、
そのような地道な作業とリスク回避に対する真摯な心構えが、
冒頭ご紹介したような事故リスクを低減するポイントになると考えます。
今回は酸に対する耐性を基軸としたFRP活用と技術的な留意点についてご紹介しました。
FRPの新たな展開に対する理解の一助になれば幸いです。